小中高の同級生Mと福島地鶏の店で飲んでいると、これまた
幼小中の同級生Tが、仕事を終え駆けつけてくれた。中学卒業以来、25年ぶりの再会である。アレンジしてくれたカリスマ同級生Mよ、ありがとう m(_ _)m
お互いオリジナリティとクリエイティビティで勝負する世界に生きる者として、芸人さんのことを尊敬してやまないポリ。いやもう、話に花が咲く咲く♪
楽しかった飲み会の話題は彼のブログに詳述してあるのだが、その中で一つ、気になることがあった。
手相である。
彼と私は手相が同じ。周りに同じ手相の子がいなかったので、そのことだけは子供の頃から妙に記憶に残っていた。
私の左手はこんな感じ。

昔は、
手のひらというのは皆こんな風に上下に分かれているもんだとばかり思っていた。

右手も、やっぱり二つに分かれている。
これを「ますかけ」というのは初耳だった。
ググってみた。
「奇才」
「天才型」
「天下取り」
もっと褒めて (^o^) 研究者が手相占い?とか言われそうだが、これくらいは許して欲しい。
たまにはレアアイテムも持ってないと、地味なA型戌年牡牛座夫が
最強B型巳年蠍座のメキシカン妻には対抗できないのだ <手相に頼ってるあたりが既に弱い
実はますかけにもいろいろあるらしい。誰かもっと占って、
良いことだけ教えてください m(_ _)m
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- 2011/04/26(火) 21:02:31|
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地震のすぐ後、幸いなことに山形の実家とは携帯のメールで無事を確認できた。東京の妻の実家も連絡が取れた。それでも、その後数日間、おそらくは停電のために連絡が途絶えた。不安が募る。
地震の翌日。ラボではほぼ一日中、Ustream 流しっぱなし。まったく仕事にならなかった。ラボの皆も心配そうに声をかけてくれる。
次の日もその次の日も、家でニュースを見続けた。
さすがに自分でもまずいと感じ、月曜日はボスに
“I should stop watching news.”
と宣言し、仕事に集中。
2時間しかもたなかった。
日本が遠い。
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Stanford 日本人会で募金を募ったところ、2日間で2万ドル集まった。遠くにいてもできることがあるんだ。
一昨日、青森にいる親友の医者からメッセージが届いた。
Keep smiling.
わかったよ。笑えばいいんだろ、笑えば。
ちょっと気分が楽になった。
昨日は久しぶりに早めに寝た。にもかかわらず、朝起きたらどっと疲れが。
一晩中夢を見ていたような気がする。延々とドライブして、着いた先ではなんかの新発明の発表会 <まったく意味不明
悪夢じゃない。楽しい夢。次から次へと、出てくるのは山形や仙台の友達ばかり。みんな笑顔。 ・・・ったく、どいつもこいつも人の安眠の邪魔しやがって。
頑張れ、東北のみんな!
頑張れ、日本!
- 2011/03/18(金) 04:53:35|
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我が大学の陸上部、体育会系のご多分に漏れず、飲むことに懸ける情熱が半端じゃない。
年に一度の追い出しコンパ。なぜか二段構えになっており、まず土曜日に人里離れた旅館に泊り、追いコン旅行と称して、夜通し飲み明かす。当然、60人を超える部員は全員参加。一晩飲み明かした翌日曜の晩は、京都三条のお座敷にて追いコン本番を迎えるというのが伝統のフォーマットだった。
追いコン旅行では、血を吐くほど飲んで、結局山奥に救急車を呼ぶ羽目になった先輩達を尻目に、比較的おとなしく飲んでいた当時1回生のK。アイドリングも十分に、翌日の追いコン本番では、
「下回生は上回生にビールを注ぐこと」
「上回生にビールを注いだ場合は、年の差分の注ぎ返しを受けること」
という理不尽なルールもなんのその。余裕で一次会クリア。
場所を木屋町に移した二次会の主役は日本酒。ここでは追い出される4回生が一列に並び、グラスを持った下回生は一人ずつお礼参りをすることが強要される。
愚痴や毒人生における有用なアドバイスを受けると同時に、全員から日本酒を一杯ずつ賜る。優しい女性の先輩などは、酒を注ぐ真似だけで見逃してくれるのだが、20人近い卒業生の大半は、
これもトレーニングとばかりにナミナミと注いでくださる。かくして、二次会後半には既に身動きの取れない半死体がごろごろ。
ふらつく頭を抑えて向かったのは、パート別に分かれる三次会。Kの所属する短距離パート約20人は、祇園に程近いお洒落なバーに転がり込んだ。
ここで、8オンスのグラスにウイスキーを2杯、ストレートで一気飲みしたところで、Kの記憶は途切れ、次に目を覚ましたのは、見たこともない部屋の炬燵の中。時計を見ると、
月曜夕方の4時。
下半身は炬燵の中であるにもかかわらず、妙に寒い。よく見ると、
上半身がびしょ濡れ。吐き気が半端じゃない。
少しして戻ってきた部屋の主は、同回生のD。酔って暴れる私を自分の部屋まで引きずってきてくれたとのこと。
・・・暴れた?
D:
ジンのボトルをあおりながら、「Y村~! どこ行った、こらぁ!!」って
先輩の名前を連呼してたけど、なんかあったんか?
げ。で、なんで上半身ずぶ濡れな訳?
D:お前、ほんっとに覚えてないのか? 店を出たところにあった
噴水の中に飛び込もうとするから、皆で必死に押さえつけるの大変だったんやぞ。
あ、ありがとうございます。皆さんがいなかったら、死んでたかもしれないですね。
私、泳げないですし。
それにしても、正直Y村先輩には何の含みもない。呼び捨てで連呼するなどという暴挙に及ぶはずがない。もしかして、酔っていたのをいいことにからかわれてるのか?
翌日。グラウンドに行くと、
Y村先輩:お前、俺になんか恨みでもあるのか?
ひーーーー(-o-)
あら?いつの間にか
主語が一人称単数に。ついでに、よく考えれば、大学一回生の冬ってまだ未成年では?
この話はすべてフィクションであり、実在の人物・団体とはなんの関係もありません。
- 2009/05/09(土) 10:47:38|
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どうやらほとぼりの冷めつつある「草君公園で全裸」事件。自分に迷惑のかからない軽犯罪には倫理観の薄いわたくし。ただただ気の毒としか言いようがない。
大体、酒飲んで脱いだくらいで逮捕されるんじゃ、学生時代所属していたうちの大学の陸上部なんか、
札付きの犯罪者集団になってしまう。
我が学年の主将M。他大学との対抗戦の後、打ち上げが終わると、そのまま相手の大学の選手を引き連れて真夜中のグラウンドに戻り、
「
夜の部」
などとのたまいながら、全裸で100m競争してたがな。
「
○ン差で優勝!」
だの
「
裸なら負けない」
だのとほざいていたが、今なら(当時でも)間違いなく公然猥褻罪で捕まってるな。
普段の飲み会でも、酒が回ると全裸になり、
どこからか持ち出してきたトイレットペーパーを女子部員に渡し、自分の股間にふんどしを巻かせていた。今なら(当時でも)間違いなくセクハラで捕まってるな。
同じく同回生のB。ビール大瓶3本くらい飲むと人格が変わり、スーパーBに変身。手に握り締めたお店のグラスをそのままテーブルに叩きつけ、グラスは粉々。
手は血だらけ。今なら(当時でも)間違いなく器物損壊罪で捕まってるな。
やはり他大学との対抗戦の後。B、四次会まで飲み歩いた挙句、寝る場所を探して相手の大学の部室まで辿り着いたはいいが、扉には鍵がかかっている。やむを得ず部室の窓ガラスを叩き割り、上半身から部室内になだれ込んだらしい。朝、
自分がなぜ血だらけなのかよくわからないまま、目覚めたそうな。今なら(当時でも)間違いなく住居不法侵入罪で捕まってるな。
ちなみに、
「俺の友達がさー」
と言いつつ自分の話をしている訳ではないことを、一言申し添えておく。
- 2009/05/06(水) 04:27:39|
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え?
まさか?! な、なんと! あのポリが帰ってくる! 11月下旬、緊急来日決定! 更に、日本四大都市ツアー敢行!! チケット売り切れ間近!! 四大都市とは、もちろん、京都・名古屋・東京・山形(^o^)
すんません 、ほんま、すんません m(_ _)m ただの一時帰国です(^o^)
- 2008/11/01(土) 05:04:55|
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(前回の続き)
23歳の頃、既に30台半ばと間違われるほど
ジジむさい落ち着いた雰囲気を醸し出していた私。長女の落ち着きの無さは、私由来であるはずがない。
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あれは確か、小学5年生の冬。
清掃時間中、調子に乗って焼却炉の屋根に登った子供ポリ君。屋根に積もった雪を、下にいる友達に投げつけ、全部なくなったところで、
燃えさかる焼却炉の煙突に手をつき、一休み。 全治4週間の大火傷 <莫迦
呼び出しどころの騒ぎではなかったような気が。
あれは確か、小学4年生の授業参観日。
授業中、一番後ろの席で、周りの友達としゃべりまくる子供ポリ君。担任のS先生は厳しいことで有名で、普段はよくひっぱたかれたりほっぺたをつねりあげられたりしていたが、この日は父兄の前ということで怒るに怒れず、しまいに顔を引きつらせながら、
「はい、
そこの『しあわせさん』。話、聞いてる(-_-# 」
家に帰って、母に大目玉。
「あんなに恥ずかしい思いをしたのは生まれて初めてだよ(-_-## 」
さらに記憶は遡る。
あれは確か、小学2年生の頃。
学校の帰り、友達 I とつるんで、大通りでバスの前に飛び出し、
バス停じゃないところでバスに乗ることに挑戦していた子供ポリ君 <莫迦 何回かやっているうちに、学校に通報され、学年集会で全員の前に呼び出される。
「皆さん、この『おさむらい』と『めだまやき』が、一体何をしたか、わかりますか?」
I がおさむらい、子供ポリ君がめだまやき。・・・なんかこう、いわれのない差別を感じるんですけど。
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一昨日の四者面談。先生がなにかおっしゃるたびに、記憶がフラッシュバックし、
まるで自分が言われているかのような錯覚に陥る。 娘よ。すまん。もしかしたら、君には父の要らん血が流れているのかもしれない <鉄板
- 2008/09/27(土) 04:43:40|
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前回の日記をトラックバックしてくださった
ここを読んでいて、ふと脳裏をよぎった、青春時代のほろ苦い思い出。
私の通っていた中学では、理科の授業の一環として「蛙の解剖」があった。男子も女子も否応なく全員参加、かつ、材料は自分で調達しなければならない。
どうせなら大物を解剖したいのが人情、いや男のロマン(^o^) 早速、でかいウシガエルの捕り方について、聞き込み調査開始。
「鶏肉で釣れる」 >母よ、すまん。冷蔵庫の鶏肉を盗んだのは私 m(_ _)m
「いや、大物ならトンボがいい」 <どんだけ大物を捕るつもりだったのか
「餌よりも時間が大切。でかい蛙は朝が早い」 <意味不明
いろいろ試した挙句、結局たまたま足元にやってきた運の悪い中型ヒキガエルを網で捕獲(^_^;
当日。理科教室は大小様々な蛙でいっぱい(^o^) 目的は、解剖して内臓の形状・位置などを確かめることと、坐骨神経の電気刺激による脊髄反射の観察なので、基本的にサイズは関係ない訳だが、ものには限度がある。
アマガエルは無理 <女子に多かった
さて、解剖終了後。仏様は理科教室の外に掘った深い穴に埋葬することになった。クラスメートの女の子たちの大半は、解剖だけでおなか一杯らしく、仏様の処理はなかなか気が進まない様子。ここは男を上げるチャンスとばかりに(?)、埋葬係を買って出た。
理科の先生の厳命により、仏様を穴の中に投げ入れるのは厳禁。やむを得ず、穴を跨ぐ格好で、1匹1匹穴の底にそっと置いてあげることにした。
女の子たちの賞賛の眼差しを感じながら、作業もほとんど終わりに近づいた時。
なにかが胸ポケットから穴の底へ。
あ。
生徒手帳(;_;) 慌てて拾おうと手を伸ばした瞬間。
穴の壁が崩れ、
バランスを崩した私の右腕は、数十匹の蛙の仏様の中にずっぽり(;_;) ただの仏様ではなく、全部開腹されていたもんだから、引き上げた腕はえらいことに(;_;) 逃げ惑うクラスメートたち。
一瞬にして栄光の座から転落した私に、その日一日誰も近づこうとしなかったのはいうまでもない。
ただのアホじゃないかと思う向きもあるやもしれぬが、私は蛙の祟りだと信じて疑わない。
・・・まあ、この程度で祟られるようなら、ネズミの祟りはいかほどのものか、考えるだけで恐ろしいが。
- 2008/05/03(土) 05:00:57|
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上の子が、
また蚕をもらってきた。
もらってくるのは構わないのだが、桑の葉の調達はいつも私の役目。別に娘を甘やかしているわけではなく、この近辺にある桑の木が全て例外なく巨木なので、娘では手が届かないのである。
というか、私も届かない(-_-;
で、どうするかというと、木に登るか、あるいは近くのフェンスによじ登らざるを得ない。警察がいたら、間違いなく職務質問ものである。仕方ないので、
夜暗くなる頃を見計らって、桑の葉取りに出陣している <余計怪しい
・・・この忙しいときに、一体何をしているのやら。
それにしても、彼らのまあよく食べること食べること。見る見るうちに、桑の葉が葉脈だけになっていく。その旺盛な食欲を見ていると、つい時間の経つのを忘れてしまう。
食事中の蚕たちをいつまで眺めていても飽きないのは、私だけではあるまい <お前だけじゃ 同世代の連中が皆そうであるように(?)、私もまた御多分に洩れず虫好きである。ファーブル昆虫記を読んで、ジガバチの習性に胸を躍らせ、ファーブルがセミの幼虫を炒めて食べたくだりを読んで、
いつか自分も試してみようと心に誓ったのは、私だけではあるまい <お前だけじゃ 実家の周りには、ありとあらゆる種類の虫がいた。庭の山椒にはアゲハの幼虫。柿やつつじの幹には律儀にも触角まで美しく装ったルリボシカミキリ。オオカマキリは我が物顔に秋海棠の葉の上を歩き回り、夏の早朝であればセミの羽化を見て感動することもあった。
情操教育という意味では、感動に勝るとも劣らないのが、驚愕。
あるとき、庭で捕まえたカマキリを5匹ほど虫かごの中に入れ、二日ほど放置。
気がついたら、大きなおなかのカマキリがたった1匹。 びっくり(-o-) あるとき、小学校の裏手にある池のほとりで、3mm大の真珠のような丸い玉をたくさん発見。あまりにもきれいだったので、10個ほど拾って、大事に筆箱にしまい、学校の机の中に入れておいた。翌日筆箱を開けると、真珠の玉がなくなっている。
机の中を覗くと、
中には孵化したばかりのナメクジさんがぞろぞろ。 びっくり(-o-) わたくし、虫に育てられたといっても過言ではないかもしれない <過言だろ <その前に、ナメクジは虫じゃない
- 2008/04/30(水) 04:23:18|
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止まない雨はない。
明けない夜はない。
期待に背くようで心苦しいのだが、一時帰国後半は特に何事も起こらず、平穏な日々であった >そうそうトラブルばっかりでも困る
山形では、年末、しかも三泊しかできなかったこともあり、親孝行以外のイベントはほとんどなし。会えたのは、高校陸上部の同級生2人と、以前から再会をリクエストしてくださっていた幼稚園の担任の先生くらい。
着いたときには全然なかった雪が、最後2日間でたっぷり積もり、図らずも娘達に雪遊びをさせてあげることができたのは僥倖だった。一つ心残りだったのは、先祖の墓参りができなかったことくらいかな。
まあ、うちの先祖達、それほど狭量でもあるまい(^_^)
元旦にいったん東京に戻り、妻の母方の祖母の家に立ち寄る。うちの娘達にとっては曾祖母にあたるが、まだまだお元気で、とっても嬉しい(^o^)
妻の実家でもう一泊し、1月2日午後、成田出発。帰りの機内では、下の子が5時間ほど寝てくれたので、行きほどの苦労はなかった。ただ、普段でもおそろしく寝相の悪い彼女、頻繁に姿勢を変えるため、いつ椅子から転がり落ちるか気が気ではなく、結局こっちはほとんど眠れなかったが。
さて、アメリカ。
実は一つ、試してみたいことがあった。次女はアメリカ生まれ。聞いたところによると、一人でもアメリカのパスポートを持っていれば、家族全員
‘US Citizen’
の方から入国できるはず。長い行列を作っている ‘Non-Citizen Visitors’ 側を横目に、ほくそえみながら入国審査されてみたい。
・・・。
US Citizen の行列の方が長いやんけ(-_-# やむを得ず、いつもどおり Non-Citizen Visitors の方から入国。つまらん。
入国手続きが全て済んだところで、ちょっと思案。皆さん、覚えておいでだろうか。
日本に帰国する際、タクシーに$130も払う羽目になったことを。この失策を根に持つ妻から、一つの提案があった。
妻:タクシーで帰るのはお金がもったいないし。かといって、この荷物を抱えて電車で帰るのはしんどいし。そうだ!
あんたが一旦電車で家に帰り、車で空港に戻ってくるまであたしたちは休んでるっていうのはどう? 鬼(-o-)
妻:あ、それと、スーツケース3個プラスアルファの荷物が、うちのシビックに収納できるとは思えないから、
最初に家に戻るときに、持てるだけの荷物は持って行ってくれる? 悪魔(-o-)
必死の説得を試みた結果、彼女達も3時間近く空港で待っていなければならない可能性があるということで、この案は却下。時間が早かったこともあり、全員で電車(カルトレイン)で帰ることと相成った。
ここでもう一つ試したかったことが。実はポリ、昨年11月から、身分がポスドクからリサーチアソシエイトに変わったため、スタンフォードの被雇用者としての恩恵が受けられることになった。
そのうちの一つが、
以前日記でもちょっと触れた、カルトレイン無料パス。スタンフォードの学生及びスタッフには、サンフランシスコからギルロイまでおよそ80マイルが週日週末を問わず常に乗り放題の無料パス「GoPass」が毎年支給される。通勤通学に何の関係もない、
無茶なパスである。
11月に晴れてこの無料パスを手に入れたのはいいが、これまで使うチャンスがなかった。良い機会である。
妻と娘の分の切符を購入しながら、
「俺は切符買わなくていいんだぞ」
というちょっとした優越感。
日本の鉄道と異なり、カルトレインには改札はない。券売機で目的地までの切符を購入し、検札に来た車掌さんに車内でそれを見せるのだが、検札がなければチェックポイントは一切ない。さすがアメリカ、大雑把なシステムと莫迦にするなかれ。もし検札が来た時に切符を持っていない場合、無条件で次の駅で降ろされ、窃盗罪で逮捕され、最低$250の罰金が科せられる。
とはいえ、実際のところ、これまでカルトレインに乗車したときに検札に出会ったことは一度もなかったので、今回も GoPass を披露する機会はないかと残念に思っていたところ、そんな祈りが通じたのか、最寄り駅の直前になって検札のおばさん登場。
颯爽と GoPass を取り出すポリ(^o^)
ところが、それを一瞥した検札のおばさん、
「あんた、それは使えないよ」 え?ええええええーーーっ??なんでえええーーーっ???
「期限切れだよ」 あ。今日は1月2日。2008年だよ(-o-)
妻(後日談):あのとき、まさに水戸黄門の印籠のごとく得意気に GoPass を取り出してダメ出しされたときの顔といったら。
「困ったね。本来なら警察に引き渡すところだけど」
もう、マジで涙目(;_;)
結局、妻と娘の分をちゃんと購入していたからか、
「次から気をつけるんだよ」
で放免されたが、心臓に悪いことこの上ない。もうイヤ。
ということで、長かった日本帰国編、これにて終了いたします。皆様、お付き合いくださり、ありがとうございました。
ちなみに、現在諸々の事情により、とてもブログに時間を割いている場合ではないことが判明いたしましたので、しばらくの間、週一回の更新となる予定です <更新するのかよ by 妻
- 2008/02/06(水) 05:41:24|
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5年も帰国していなかったため、日本でこなさなければならない事務手続きがてんこ盛り。中でも、以下の3つは必須。
H ビザスタンプ取得・・・これやらないと、アメリカに帰れない
保険一時金の受取・・・国に持っていかれるのを黙って指をくわえて見ている訳にはいかない
運転免許・・・既に半年前に失効しているが、失効後3年以内に再交付手続きしておかないと、取り直すのがめんどくさい
ビザ取得のためのアメリカ大使館での面接は、帰国翌日の朝を予約。何をおいても最優先だったビザに関しては、前々回の日記でも書いたとおり、一分の隙もなく準備していたので(^o^)、つつがなく終了。
同じ時間に面接に来ていた松崎しげる、あの黒さはありえん(-o-)
午後は郵便局で簡易保険一時金受取の手続き。テロやオレオレ詐欺の影響からか、最近口座管理や引き落としがえらいうるさいらしく、本人以外はたとえ親でもできない手続きがあるとのこと。しかも、保険の一時金なんかを受け取らないで放置しておくと、そのうち日本郵政株式会社に吸い上げられるらしい <ふざけんな(-_-#
ところが。
「お客様、なにか身分を証明する物はお持ちでしょうか」
えーと。運転免許は失効中だし。健康保険証は持ってないし。・・・あ。パスポートは大使館に提出しちゃったよ(;_;)
「身分を証明できませんと、一時金はお受け取りになれませんが」
ということは、ついでにやろうと思っていた満期の定期預金の引き出しや、娘の口座を作るのもダメ?
「できません。できるのは
お預け入れだけです」
なんかむかつく。
こうなると、運転免許の再交付手続きを先に行なう必要がある。事前に調べておいたので、必要な物は揃えておいた。海外在住者は、更新時期に海外にいたことを証明する必要があるが、パスポートのコピーとアメリカの運転免許でいけるはず。一応警視庁のウェブサイトを再チェック。
・・・昨日までなかった新しい注釈があるぞ。
「パスポートは、スタンプ(出入国記録)が押印されているものが必要です」
もしかして、コピーじゃダメ?しかも、今回入国の際にスタンプを押してもらった記憶がない(以前にも押されなかった経験あり)。
「出入国の際、自動化ゲートを利用した場合などはスタンプが押印されないので、法務省から出入国記録を取得してください」
洒落にならないので免許試験場に電話で聞いてみたところ、やはり本物のパスポートでないとダメとのこと。ビザが発行されるまで待たなければならない。かりにパスポートが戻ってきても、出入国記録スタンプが押印されていなければ免許は再交付されない。
万が一のために法務省に電話。出入国記録はどれくらいで取得できますか?
「3週間ほどみていただければ
よろしいか、と」
よろしくない(-_-#
なんにもできないじゃないか(-_-##
まあ、とにかくビザが早く発行されてパスポートが戻ってくるのを待つしかない。出入国記録のスタンプは、私の目を盗んで入国管理官が押印してくれたことを願うことにする。
しゃあない。パスポート以外の免許再交付の書類でも揃えておくか。
・・・。
免許証、アメリカに忘れてきたよ(;_;)
- 2008/01/19(土) 05:35:27|
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