昔読んだ話で、こんな場面があった。
とあるシチュエーションテスト。自分の親と恋人が海で溺れそうになっている、という状況で、どちらを助けるか。
出題者の意図を汲んだ(と勘違いした)参加者の一人は、「もちろん親」と答えて失格。主人公を含むグループは、制限時間中、沈黙を貫く。そう。正解はない、というのが答え。主人公達はテストに合格する。
だが。ここで主人公は再び考え込む。これはただのテストだから、「正解はない」なんていう答えで良いのかもしれない。でも、現実にそういう場面に遭遇する可能性はないとは言い切れない。そのとき、自分はどうするか。
既婚者の場合、親と配偶者、ということになるだろう。私ならどうするか。私なら、迷わず妻を助ける。別に親と喧嘩している訳ではない。親に感謝していない訳でもない。「親と他人」なら、当然親を助ける。でも、選択肢に妻がいれば、疑問の余地はない。
配偶者は、血のつながりという意味では「他人」である。だからなのか、「配偶者より親を選ぶ」という人もいる。アメリカ人には特にこういう人が多い気がする。でもたぶん、だからこそ、私は妻を選ぶ。配偶者とは、お互いに自立した関係を望むという人もいる。でも、私ならどちらかというと、親とは互いに自立したい。
ま、どっちを選ぶにしてもあまり理屈はないのかもしれない。もちろん、こんなシチュエーションにならないように努力する、というのが最善の道だが。
選択肢に「自分の子供」があったらどうするか。うーむ。妻には悪いが、この場合は子供優先だろうな。今のところ。
自分の親が、配偶者と子供のどちらを助けるか、というシチュエーションに遭ったら、間違いなく子供、つまり私を助けてくれると思う。それがわかっていてもなお、私は、親と妻なら、妻を選ぶ。親もこのブログを読んでいるはずだが、おそらく賛成してくれると思う。「親子」とは、そういうものではないだろうか。
(
泳げないくせに、何偉そうなこと言ってんだか。 by 妻)
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- 2006/11/22(水) 10:38:57|
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